« 2007年11月 | メイン

2007年12月02日

マリア・カラス Maria Callas

最近はイングリッシュ・ローズやオールド・ローズの人気が高く、一昔前のハイブリット・ティー一辺倒の頃とは隔世の感がありますが、楽しめる品種が増えることは喜ばしいと。一方で素晴らしい品種がたくさんあるハイブリット・ティーに興味を持つ方が少なくなって残念に思います。

マリア・カラス
1965年・メイアン・フランス

四季咲き性で花つきがよい。花型は半剣弁高芯だが、開いてくるとややルーズな花型になる。強健で120cmくらいになる横張り性。花の色は濃いローズピンクで,低温だと赤味が強くなります。香りも強い。豊に開ききったときは大変艶やかな感じで、この花の品種名である、マリア・カラスを彷彿とさせます。

マリア・カラス


マリア・カラスマリア・カラス(1923.12.2. – 1977.9.16.)をはじめって知ったのは、高校時代に観た映画、パゾリーニの「王女メディア」。彼女がどういう人であるか知らないで観た映画であったが、独特の存在感に圧倒され、その後すぐに彼女の代表作「ノルマ」や「カルメン」を聴いて以来、私にとっては正に永遠のディーヴァとなりました。日本人にとっては違和感のある名前、聖母マリア・烏カラス。この相反するイメージが彼女の存在をより強く印象付けているように思います。
オペラ歌手としての彼女の存在は、彼女が出現しなければ現在のオペラの姿はなかったといえるほど、20世紀以降のオペラに大きな影響を与えた20世紀最高のソプラノ歌手と評価されています。声だけ聴くと、決して美声とはいえない独特の癖のある声ですが、その表現力に圧倒されます。この表現力(歌唱としての技術や美しさだけでなく、声による演技力、その役の人間性までを表現する)こそが、カラス以前と、以後のオペラのあり方を変えたと言われる所以です。
そうした優れた表現力はルチア「ランメルモールのルチア」、ノルマ、ヴィオレッタ「椿姫」、トスカなどで聴くことができます。

マリア・カラス

カラスはギリシャ系移民の子としてニューヨークで生まれましたが、1936年からギリシャに渡って本格的に音楽を学び、1938年アテナイ王立歌劇場で「カヴァレリア・ルスティカーナ(マスカーニ作曲)」のサントゥッツァを歌ってデビュー。以降1947年ヴェローナ音楽祭で「ラ・ジョコンダ」、1950年ミラノ・スカラ座で「アイーダ」、1956年ニューヨークメトロポリタン歌劇場で「ノルマ」のタイトルロールを歌って、各国の歌劇場にデビューし、圧倒的な成功を収めていきます。
評価が高かったロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティ作曲のベルカントオペラ。これらの作品は比較的様式的な物語と登場人物というケースが多いのですが、カラスならではの心理描写力と演技力でそれらの作品に血を通わせ、作品の真価を知らしめました。「ランメルモールのルチア」「ノルマ」「メディア」など、今日世界各国で頻繁に上演される演目も、彼女によって再評価がなされ演奏されるようになりました。(それゆえパゾリーニが「女王メディア」の映画を撮る際に彼女を起用した。)
他にも本来の声質からすると、通常はレパートリーとならない、さまざまな時代のさまざまな作曲家の作品、ヴェルディ、プッチーニなど、リリコ・スピントやドラマティコの声質むけの役柄まで歌いこなしています。プッチーニ「ラ・ボエーム」のミミ、「蝶々夫人」、ヴェルディ「リゴレット」のジルダなどは、その役がカラスのイメージや声質からすると、まるでそぐわない役ですが、カラスが歌うと不思議に違和感なく聴けるばかりか、こうあるべきと思えてくるから驚きです。一方で声質やカラスのイメージからピッタリなのが、ビゼー「カルメン」。私が彼女の歌を本格的に聴いたのはこの「カルメン」で、未だに彼女以外のカルメンは考えられません。もうひとつがプッチーニ「トゥーランドット」。カラスの金属的なギスギスした声が、この復讐に燃えるお姫様にピッタリで、世の評価は今一ですが、私は大好きなカラスの歌唱のひとつです。
オペラは1曲が長いものが多いので、初めての方にはカラスの得意なアリアを集めたCDを聴かれることをお薦めします。カラスのベスト盤は何種類も販売されていますが、どれを聴いても彼女の歌唱力の凄さを聴くことができます。

マリア・カラス

私生活においては、最初の夫のイタリアの実業家ジョバンニ・バティスタ・メネギーニと離婚後、ギリシャの海運王オナシスとの愛人関係などゴシップを提供。そしてケネディ大統領未亡人ジャッキーがオナシスが結婚したことで、以後独身を通し、1977年9月16日パリの自邸で亡くなるまで、波乱万丈の生涯をおくっています。
1974年、永らくステージを離れていたカラスを、往年の相手役、ジュゼッペ・ディ・ステファーノが呼び戻し、各地で一連のリサイタルを開きます。東京公演後の札幌厚生年金会館でのリサイタルがカラス生涯最後のステージとなりました。

2007年12月01日

ジャクリーヌ・デュ・プレ Jacqueline du Pre

夭逝の天才女流チェリスト、ジャクリーヌ・デュ・プレの名を冠したシュラブローズ。

ジャクリーヌ・デュ・プレ
1989年 Harkness イギリス

純白というより、ほんのりと色味のある白の一重、半八重咲きの花。どこかしら梅の花を大きくしたような和風な感じのある上品な花。一番の特長は、大きく開いた花の中心にある赤金色のしべ。この大変美しいしべのお蔭で、清楚でありながら華やかな印象を与えます。枝はややごつごつした感じで刺も大変多いのですが、葉は明るい柔らかなグリーンで、より花を引き立てます。香りも印象的で素晴らしく、病が進んで歩けなくなったデュ・プレが車椅子で、この花の前を通ったときにその香りに惹きつけられ、それでこの品種に彼女の名が付けられたそうです。このバラを作出したハークネスは、120年以上の歴史を持つイギリスの名門ブリーダーです。

ジャクリーヌ・デュ・プレ

ジャクリーヌ・デュ・プレジャクリーヌ・デュ・プレ(1945.1.26. - 1987.10.19.)は、イギリスのチェロ奏者。4歳の時にラジオで聴いたチェロの音に興味を持ち、チェロを始め10歳の頃には国際的なコンクールに入賞するなど、早くからその才能を認められていました。彼女の名が広く知られるようになったのは、1961年デビューの際に録音された、同じイギリス出身の作曲家、エルガーの「チェロ協奏曲」の演奏。現在、彼女の演奏するこの曲のCDは数種販売されていますが、どの演奏を聴いても大変個性的で、確かに彼女の代表的な演奏、男性のチェリストも顔負けの力強さと情念ともいえる強い思いのこもった演奏です。
ジャクリーヌ・デュ・プレ
21歳で、当時はピアニストとして活躍していたダニエル・バレンボイム(現在は指揮者として世界的に活動)と結婚し、以降夫婦共演の演奏を数多く残しています。
しかしながら幸せな日々は長くは続かず1971年ころから、指先の感覚が鈍くなってきたことを感じるようになり、1973年には日本にも来日しましたが、体調不良で演奏会はキャンセルされました。そしてこの年「多発性硬化症」と診断され、演奏家としての活動に終止符を打たざるえなくなります。その後チェロ教師として後進の育成にあたるものの、次第に身体の自由が利かなくなっていき、1987年42歳の若さで死去。天賦の才能を持ちながら、難病に罹りその演奏家生命を奪われた彼女の演奏家としての活動はわずか10年余りでしたが、多くの名演を今日に残してくれています。それゆえ彼女の想い出は、より鮮烈に人々の印象に残っています。また彼女の名を貰ったバラも、彼女にまつわるエピソードとその独特の美しさで愛されています。

ジャクリーヌ・デュ・プレ